都会の雑踏(ざっとう)の中、ひときわ目立つ長身で多少がっしりした体格を
持った青年が、となりにいる、まだ童顔の可愛らしい少女と、何やら口喧嘩をし
ていた。
「ねぇ!セノル!聞いてるの?」
可愛らしい顔を怒りの色に染めながら、少女は目の前の青年に向かって言い放った。
「え・・・・?あ、うん」
セノル・・・・という名の青年は、ぼんやりとしていて、先程まで心ここに在
らず、といった状態だったということが伺える。
「嘘つき。ボ〜っとしてて聞いちゃいなかった癖に」
少女-ビスタは、咎めるような視線を送ったが、
「あ〜・・・・ごめん」
セノルは、またも上の空のような恍けた(ほうけた)言葉を返している。
「ホンット・・・・・・緊張感とは無縁な人ね」
ビスタは呆れたようにいうと、肩を竦めてみせた。
だが、咎めるような視線は向け続けている。
「そうか?何か嬉しいなぁ♪」
だが、セノルはそれを全く意に介した風でもなく、相変わらず恍けた返事をし
ていた。
ビスタはただ、絶句するだけだった。
「どうした?いきなり黙り込んで」
ビスタが絶句したのが、いかにも意外だったというように、セノルは不思議そ
うな顔で聞き返してきた。
・・・・これが、天然だというのだから、かなり怖い。
「もういいわ・・・・・・それより、時間は?」
ビスタが諦めたように促すと、セノルは変わらぬ様子で答えた。
「もうすぐあいつが来る時間だな」
時計を見ながら、急に愛想の少なくなった声のセノルを別段不思議がるでもな
く、ビスタは短く答える。
「そう」
待ちわびているかのように、ビスタも多少冷たい声になっていた。
雑踏の中、こちらに向かってくる気配を感じると、セノルは少なくとも好意的
とは思えない目を待ち人に向けた。
「珍しいですね。時間より早くきているなんて」
スーツ姿の会社員のような男は、セノルの視線を慣れているとでもいうかのよ
うに、気にした様子はなかった。
・・・・・まぁ、実際慣れているのだが。
「時間通りしかこないお前のほうが珍しいんだよ」
ビスタと話していた時とは違う、少し刺々しい口調でセノルはスーツ姿の男-ト
ルクに言った。
「貴方はいつも遅れてくるでしょう」
トルクは受け流しと反論を同時に行った。
「俺が早くきちゃ悪いのか?」
不快感を露(あらわ)にし始めたセノルの言葉にも、トルクは動じなかった。
このまま喧嘩に突入か・・・・・・と思いきや、
「はいはい、任務中よ、セノル」
ビスタの一言で、その雰囲気がいきなり崩れた。
「何故に俺だけ・・・・・・」
セノルは脱力し、やる気をなくしたようだが、ビスタが自分にだけ注意した事
が不満だったようで、ぶつぶつと文句を垂れている。
刺々しい雰囲気が消えた瞬間を見計らって、トルクが任務の説明をし始めた。
「とりあえず、今回の任務は人間社会に潜伏(せんぷく)し、隠れて行動してい
る敵を全滅させるのが最優先事項です。ですから・・・・・・」
トルクの説明は、最終確認と方法案のようだった。
『ですから?』
セノルとビスタが、まるでオウム返しに聞き返す。
「履歴書を偽造しましょう」
瞬間、セノルとビスタの頭の中は真っ白になっていた。
「別にそんなことしなくてもいいんじゃ・・・・・・?必要な物資なんかは上か
ら調達されるんだし」
ビスタがもっともな意見を言った。
彼等は人ではない。
神の一族・・・・・天使である。
であるが故、今回の任務においても、天界の助力は求められるので、地上での
活動は任務遂行だけでよいはずなのである。
履歴書などは、主に経済活動などに用いるものであるため、彼等には全く利用
価値がないのだ。
「今回の任務は『人間社会に潜伏し』隠れて行動している敵の全滅といったはず
です」
トルクがもう一度言うと、ビスタもトルクの言わんとする事が分かったようだった。
「つまり・・・・・・私達も人間社会に入り込んで、怪しいやつをマークしろと
?」
疑問と責めに満ちた目でビスタはトルクを見た。・・・・・・が、セノルとの
掛け合いで慣れているトルクにとっては、それは何の脅しにもならなかった。
「簡単に言うとそういうことです」
事も無げにさらりとトルクが言った。
セノルは先程から一言も発さず、目を瞑ったままだったが、ビスタのほうははっき
りと分かる程、眉が釣り上がっていた。
「・・・・・こんな何千何万と人間がいるなかでどうやって見つけろと・・・・・・
?」
明確な怒気を込めた視線を、ビスタは真正面からトルクに向けた。
ビスタが怒るのも無理はない。
彼女達の担当は極東だけとはいえ、それでも一億二千万は人間がいるのだ。
その中から敵を探し出すなど・・・・・・豆の山から、一つだけ紛れた大豆を探
し当てるようなものだ。
「しらみつぶしです。そして、夜は森などを探索してもらいます。彼等が魔法陣を
描く現場を、押さえることができるかもしれませんからね」
相変わらず涼しい顔で言うトルク。
さも当然といった具合だ。・・・・・仕事馬鹿とでも言うのだろうか?
「・・・・・残業手当はもらえるんでしょうね」
これ以上トルクに突っかかっても仕方がないと思ったのか、怒気を孕んだ(はら
んだ)視線を止め、ビスタはシビアな質問をしてきた。
「ええ、まぁ。というわけで、セノル」
トルクは、ビスタの了解を得ると、セノルに話を振った。
「履歴書をだせ・・・・・・とでも?」
セノルは全て承知のようだった。
おそらくトルクの口から『履歴書』という言葉がでた時点で、こうなることが予
測できていたのだろう。
「戸籍でもいいですよ」
トルクが、どっちを選んでも同じような選択をせまった。
神にとって、地上の物を模造することなどは簡単なことなのだろう。
しかし・・・・・・犯罪ではないのだろうか?
神の一族である天使が、そんな事をしていいのだろうか・・・・?
大変疑問である。
「・・・・・・だから俺にこんな任務がきたんだな」
セノルはまるで厄介事を押し付けられたかのように、深いため息をついた。
・・・・・まぁ、実際そうなのだが。
「まぁ、そういうことです。天使の中で人間界での書類や存在があるのは貴方だけ
ですから」
トルクは弁解をするでもなく、あっさりと認めた。
・・・・・すっきりはっきりした性格のトルクらしさがでている。
「・・・・・まぁ、ハーフだしな」
少し投げやりで諦めたかのような口調で、セノルは言った。
声には無関心な色が混ざっていた。
「というわけで」
トルクは促すような台詞を口にした。
テキパキと進めるのが好きらしい。
「わかったわかった。それと、家だろ?俺の家まで案内するよ」
セノルは呆れたような、やけくそな感じで二人を促した。
「さっすがセノル。話がわかるわ〜〜♪私、野宿なんて嫌だったんだ〜〜♪」
ビスタはすっかり立ち直っている。
元来、楽天的な性格で好奇心の強いビスタは、セノルの家に行けるという事で既
にはしゃいでいる。
「・・・・・もう、いい・・・・・・」
疲れたかのような声を上げ、セノルはふらふらと歩いていった。
そんなセノルを気づかうように、トルクはビスタに聞こえないように、小声で話
し掛けた。
「・・・・・・まだ、気にしているんですか・・・・・・?」
セノルの今の状態を見て、彼の過去を知っているものなら、その言葉がぴったり
とあてはまると分かるだろう。
それは、もっとも触れてはいけない、セノルの『傷』だった。
「親父はまだ幽閉中だからな・・・・・・気にするなというほうが無理だろ」
セノルの父親は罪人なのだろうか?
それが・・・・・彼の『傷』なのだろうか?
「ごもっとも。ですが、それとこれとは別ですからね」
トルクはあくまでも、ワークライク(work
like?)だった。
冷たい・・・・・と思われるこの台詞にも、セノルは動じなかった。
「それが分かってるから、家に案内してやるんだろうが」
一瞬、寂しげな表情を見せたセノルだったが、すぐに無愛想な顔に戻り、ぶっき
らぼうに言った。
「・・・・・・それもそうですね」
トルクはその一瞬を見逃さなかった・・・・・・が、何でもないよう顔で、納得
したようだった。
「何してんの〜〜?早く、早く〜〜〜♪」
ビスタがおおはしゃぎで遥か先にいて、手を振っている。
まるで幼い子供のようだ。
「道わかんない癖に、先にいったら迷子になるぞ」
セノルの不器用な心配は、逆効果だったようだ。
「子供じゃないも〜んだ!」
そう言うと、ビスタはそのまま先を歩いていった。
・・・・・今の台詞といい、そのはしゃぎようといい・・・・・・百人中百人が、
子供と答そうな行動だと思うのだが・・・・・・
先を歩くビスタを見ながら、セノルは物思いに耽っていた。
(あそこに行けば、思い出すから・・・・・・嫌なんだよなぁ・・・・母さんから
聞いた、なれそめ話・・・・・思い出したくなんて、ないのになぁ・・・・・・)
そんなセノルの思いとは裏腹に、彼等はセノルの家へと辿り着いた。
途中、何度かビスタが道を間違えたが。
「ここがセノルの家?」
ビスタが興味深そうに家を見回していた。
「・・・・・・ああ、正確には親父の家だがな」
セノルの声には、多少嫌そうな感じが含まれていた。
嫌悪している・・・・・と言ってもいいかもしれない。
「貴方の親がこの家の持ち主なら、ここは貴方の家ということです」
セノルの声に含まれていた、嫌悪しているような感じを聞き取ったのだろう、ト
ルクが諭すように語りかけた。
「どうだろうな・・・・・・」
だが、セノルは暗澹(あんたん)とした口調で、嫌悪しているような感じは抜け
ていなかった・・・・・・いや、今度は自嘲しているような感じも含まれていた。
鍵を開け、中に入る。中は、長い間使われていなかったとは思えないほど綺麗に
掃除されていて、片付いていた。
「意外と綺麗ですね・・・・・・」
最初に驚きと疑念の声を上げたのは、トルクだった
「多分・・・・・あいつが掃除しているからな・・・・・」
セノルは、それに不明確に答えた。
「誰?あいつって?」
好奇心の強いビスタが、セノルが答えを濁す(にごす)のに興味を持ち、問いか
けてきた。
「お前は知らなくていい」
だが、セノルはそっけなく答えるだけだった。
『あいつ』というのは、あまり知られたくない存在らしい。
「何よ〜!教えてくれたっていいじゃない!」
秘密にされたのが不満なようで、ビスタはむくれてセノルに突っかかった。
「ビスタ、あまり人のプライバシーに、首を突っ込まない方が身のためですよ」
トルクが冷静に忠告する。
確かに他人の事にあまり首を突っ込まないのが賢明だろう。
だが、ビスタは賢明ではなかった。
「私が気になるから聞いてるの!それだけ!」
今度はトルクに突っかかっている。
ビスタは、我を貫き通す性格だった。
「どうしてそう、お前はうるさいんだ・・・・・・向こうで座ってろ」
不機嫌にそういうと、セノルは手でしっ、しっと追いやる振りをした。
「なんでそう無愛想になってるのよ」
ぶつぶつ不平を漏らしながらも、相棒のいつもとは少し違う様子を感じたのか、
ビスタにしては珍しく大人しく従った。
「やはり、この家にくると、どうしても気にしてしまうようですね」
トルクは、やれやれといった感じでチームメンバーに話し掛けた。
「だったらどうした。お前が心配することじゃない」
トルクから指摘された事が図星だったようで、さっきよりも不機嫌の度合いが
増した声で、セノルは無愛想に言った。
「心配することですよ。任務に支障をきたされでもしたらたまったものではない
ですから」
仲間の心配は、仕事の心配。
相変わらずワークライクなトルクだが、セノル本人を心配している気持ちがな
いわけでもない。
「心配無用だ。私情は私情、仕事は仕事。それぐらいは割り切っている」
セノルはそう断言すると、ビスタのいる所とはちょうど反対側にある椅子に向
かって歩き出した。
「だといいんですけどね・・・・・・・」
その後ろ姿を見ながら、トルクは一人ぼやいた。
「割り切っている・・・・・・か。よくそんな事が言えるな・・・・・俺」
自嘲的な笑みをこぼしながら、椅子に座り、遠い記憶に想いを馳せる(はせる)
ように、セノルはぼんやりと天井を見上げた。
「この家は・・・・・どうしてこんなにも親父や母さんの匂いがするんだろう
なぁ・・・・・・・・・嫌でも・・・・・思い出しちまう・・・・・」
ふと、嬉しいのか、悲しいのか、どちらともつかない笑みを、セノルは浮かべ
ていた・・・・・・・・・
プロローグ end