-セノルの家で、椅子の背もたれに体を預けながら、セノルは条件反射のように
思っていた。
(嫌なんだよな・・・・・ここは・・・・・・どうしても思い出しちまう・・・・・・
最初で最後のプレゼントと・・・・・・父と母が見せてくれた、二人の記憶・・・・・
思い出したく、ないのに・・・・・)
-そこは、神殿のような場所だった。
派手な飾りやステンドグラスなどはないが、むしろそういった装飾品がないだけに、
白い大理石やガラス窓が清潔な美しさを醸し出している。
その神殿の中を、一人の美しい女性が歩いていた。
強い意思を感じさせる、赤の色彩をもった目。長くたなびく、滑らかな金髪。まだ
十代と思われる、彼女のそのしなやかな肢体(したい)からは、視覚からのイメージ
とは異なった力強さが感じられる。
そして、傍にいるだけで得られそうな安心感が、その女性から溢れ出ている。
だが・・・・・・それもそのはず。
なぜなら、彼女は『神』なのだから。
彼女は突き当たりにある大きな扉の前で立ち止まり、意を決したような表情で大声
で言った。
「人間界監視所所長、ジュノー・プルートー、参りました」
ジュノーが叫ぶと、両開きの扉が、ゆっくりと音を立てて開いていく。
彼女は前へと進み、玉座に座る男の前で跪いた(ひざまずいた)。
「来たか」
玉座に座る中年とも高齢ともつかぬ男が、短く応えた。
「御用件とは、如何なものですか?」
恭しい(うやうやしい)態度でジュノーが問うと、玉座の男は神妙になって答えた。
「実は、お前が提唱した妖魔掃討所・・・・・『妖所』が承認されそうなのだ」
「!?主よ、それは真ですか?」
この世界を統括する神--主神オーディンの突然のビッグニュースに、ジュノーは思わ
ず身を乗り出していた。
妖魔とは、地黒界と呼ばれる世界に住む者達の僕(しもべ)で、俗にいう魔族の
下っ端だ。
近年、デタントの流れを心良く思わない魔族側の勢力が、デタントの原因を作った人
間界に妖魔を送り込んでいるのだ。
人間などというか弱き生物は、妖魔によって滅ぼされる事もあり得る。
それに対し、ジュノーは他の神よりも強い危機感を感じ、妖魔を排除するための機関
-要するに妖魔掃討所-の設立を以前より進言していたのだ。
「まぎれもない事実だ。・・・・・だがそれには一つ、大きな障害がある」
「障害・・・・・と、仰せられますと??」
そう・・・・・・この障害が、ジュノーが以前から進言していたにも関わらず、今ま
で設立されなかった事の一番大きな理由なのだ。
「デタントの流れは始まったばかりだ。故に反対派も数多く存在する。彼等は妖所設
立を強く反対している。人間如きのために動くなどあってはならない、とな」
天界の天使や神の大多数は、未だ古き迷信を信じている。
『神族と魔族は争うべき』『人間は愚かで下等な生物である』・・・・・・今、自分
達が行っている戦争の本当の理由も、他世界の者達と自分達との真の関係すら知らずに、
ただそう思っている。
故に、彼等はデタントの流れを嫌い、妖所設立に反対するのである。
「私が必ず説得してみせます。皆は、きっと分かってくれます。無意味な死はあって
はならない、と」
ジュノーが一切の曇のない真摯(しんし)な眼で、主神に向かって断言した。
一瞬、その瞳が全てを飲み込みそうなほど強く輝いたように見えた。
「・・・・・・それについて、私に打開策がないわけではない」
「ないわけではない・・・・・と、仰せられますと?」
極めて歯切れの悪い答えの主神に、ジュノーが問い返した。
「どうなるか分からんということだ。その打開策とは、人間を天界に連れてくる
・・・・そして、場合によっては住まわせるというものだからな」
主神の一言は、天界の掟を根本から揺るがしかねないものだった。
元来(がんらい)、人と神とでは力に差がありすぎるため、人間達の成長を妨げ
かねないと、主神自らが人間界に行くのを禁じたのである。
そして、人間がかなり力をつけ、安全圏に達したと確認し、天界と人間界との行き来
を自由にしたしばらく後、それは起こった。
一人の人間の男に恋をした女神が、その男に対して害を為した(なした)者達を次々
と葬り去ったのだ。
それに加え、あろうことかその人間に『力』を与えたのだ。
不老不死・・・・・・とはいかぬまでも、明らかに普通の人間とは異なる生命力、永
遠に活性し続け衰えない細胞、俗に超能力やサイコキネシスなどと呼ばれるような
・・・・・・それでさえ生易しいくらいの力。
その女神は愛した人間の男を思う余り、その強大な力をあらぬ方向へと使ってしまった
のだ。
それ以来、主神は人間に会う事自体をタブーとし、よほど特別な事が起こり、自らが許
可を出した場合にのみ人間界に行くことを許された・・・・・が、人と必要以上に接する
事などはもっての他だった。
「人を、天界に・・・・・ですか?皆は納得しないのでは・・・・・・?」
ジュノーがそう言うのも無理はなかった。主神自らが定めた掟を、主神自らが破る事に
なるのだから。
だが、主神はその事を覚悟していたようだった。
「私から皆に説明をする。しかし・・・・・・これがどう転ぶかは分からんが、人を知
らんことには皆を説得できまい。我々は、人を見ることはできるが、人を知ることは
できぬからな・・・・・」
主神は、真に人を理解するには、人がどういう者なのかを知る必要があると考えたのだ。
神や天使達は、確かに天界から人間界を『見る』ことはできる・・・・・・しかし、そ
れはあくまで人間という存在の基本行動のみなのである。心まで伺い知る事はできない。
それ故、主神は前代未聞の『人を天界へと招く』という事をやろうとしているのだ。
「ですが、我々や地黒界の者にはない『科学』をもっているだけで、充分に守る理由に
なると思いますが・・・・・」
だが、ジュノーはそれにより主神に影響が出ることを恐れたのか、『そこまでする必要
はない』とでも言いたげな台詞を口にした。
実際、双方がデタントの流れに踏み切ったのも、人間が天界や地黒界とは違う技術体系
・・・・・・・『科学』を手に入れたからなのだ。
「守る理由にはなろうとも、守ろうとは思うまい。お前も、守りたいと思うのはそれだ
けではあるまい」
「・・・・・・・はい」
デタントの流れに踏み切ったのは、人間が『科学』を手に入れたから・・・・・・とい
うのが双方の一般的な見解なのだが、どうやらそれだけではないようである。
おそらく、一握りの神しか知らぬと思われる隠された理由・・・・・・一般には公表で
きない何かしらの理由でもあるのだろうか?
「連れてくる人間の選出はお前に一任する」
「・・・・・分かりました。では、失礼します」
ジュノーは主神に一礼すると、入ってきた扉へと歩を進めた。
再び、門が巨大な音を立てて開き、ジュノーが出たと同時にゆっくりと閉じていった。
「ジュノー・・・・・お前の為す事には、天界と地黒界の運命がかかっているのだ
・・・・頼んだぞ・・・・・」
誰に言うともなく、ポツリと主神が呟いた一言には、先程までとは全く違った重々しさ
があった。
「人を守ろうと思う理由・・・・・・」
ジュノーは人間界へと向かう回廊の中、主神の会話で再認識した自分の気持ちを、確認
するかのように呟いていた。
「人を・・・・・天界へ・・・・・」
主神の台詞を胸に刻むように呟くジュノー。
「私が・・・・・選ぶ」
心から溢れ出たように呟いたその言葉には、少し歓喜の色が込められていた。
「叢雲・・・・・・また、逢えるね・・・・・」
嬉しそうに、ジュノーは唇だけでそっと笑顔を形どった。
-いつも登校する時の道。叢雲は、自分を呼ぶ声が聞こえたような気がして、立ち止まった。
「ん?」
誰かに呼ばれたのか、と後ろを振り返ってみたが、そこには誰もいなかった。
「おい!叢雲〜!早くしね〜と遅刻だぞ〜!」
友人の声が聞こえ、叢雲は学校へと走り出した。
「ああ、悪ぃ悪ぃ」
そう返事を返しながらも、叢雲はさっきの声の事が忘れられないでいた。
(今・・・・・何か、俺呼ばれたような・・・・・・ま、いつものそら耳だな)
叢雲はとりあえず自分を納得させると、蓁凱(しんがい)高校の遅刻回数新記録達成
まで後1回という快挙を成し遂げないように、全力で走っていった。
今回はジュノーさんも叢雲も出てきました。次回はどうなるのかしら。うふふ。期待
しててくださいね。うひょひょ(やべ)