魔法使いが人間になれた日まえがき
 

第三章  お願い…

 一週間が過ぎ、ある時、バズラはふといなくなった。何も言わず。何一つ残さず。
 メサイアが、朝目覚めると、テーブルの上には、古ぼけた布の袋が置かれていた。
それはとても重く、じゃらじゃらという音を鳴らした。
 中に入っているのはお金だろう。確認しなくても分かる。いつも、いなくなる時は、こうやって置いてある。それが重ければ重いほど、悲しみも倍増する。
「次は…いつ帰ってくるのかしらね…」
そんなことを呟きながら、目から何か暖かいものが流れ、その袋が置かれているテーブルへと落ちる。
 こんなことは毎回。いつも楽しい時はあっという間に過ぎて行く。そして、気付けば彼はもう居ない。いきなり帰ってきて、いきなりいなくなる。お金だけ置いて急いで行ってしまう時もある。最悪だとメサイアが寝ている間に帰ってきて、お金を置き、さっさと行ってしまう時もある。
 そんなことのくり返し。
「涙なんて…とうに枯れてしまったと…思っていたのにな」
声からしては、とても悲しそうには聞こえない。表情は、とても…。

 月日は流れる。でも、とても長い…。彼女にとっては…。
「メサイアーいる?」
今日もウィッチやリウスが遊びに来た。
「はーい」
ガチャっと扉を開ける。
「やっほー元気?」
「えーまぁー」
笑顔で答える。でも、2ヶ月前よりも、笑顔が辛そうに見える。
「…そう?」
それに気付いたが、どう言葉をかけていいのか分からず、その話はそこで終わってしまう。
「どうぞ」
「おじゃましまーす」
どうどうと家に入るリウス。
「もう。遠慮しなさいってば!」
脱力して言う。だから迫力がない。
「気にしなーい、気にしなーい」
そう言って、どかっと椅子に座る。
「まったくー」
「あれ?バズラはいないの?」
辺りを見渡して言うリウス。
「え?あ…うん…。3週間くらい前にまた出て行っちゃったよ」
痛い所を突かれた、そんな感じの顔で答えるメサイア。
「この馬鹿。もう少し気を使いなさいよ」
ウィッチが小声で話しかける。
「あーごめんなさい」
姿勢を立て直して謝るリウス。
「あーいいの。気なんか使わないで」
にこっと笑って言う。どうやらウィッチの言葉が聞こえたようだ。
「あ…ごめんね。もう、こいつデリカシーなんてこれっぽっちもないんだから」
「うふふ。リウスくんらしいわよね」
笑いながら言う。
「だってー」
そう嬉しそうな言い方をしながらウィッチを見た。
「だってーじゃない」
「すみません」
再度姿勢を正して、もう一度メサイアに謝った。
「いいのよ。気にしないで。大丈夫だから」
さっきから笑顔を絶やさない。無理に笑顔を作ってることぐらい分かる。だからそれが余計に心配を呷ってしまう。
「本当に大丈夫?」
ウィッチが本当に心配そうな顔をして聞く。
「えー」
でも、どこか納得できない返事だった。でもウィッチはそれ以上追求はせず、ころ合いを見計らって、話を反らしてしまった。

 そしてもう夕方となり、2人と1匹は帰っていった。
「それじゃーねー」
元気よく手を振って言うリウス。
「うん。ばいばい」
にこっと笑って言うメサイア。
「それじゃー」
「うん」
「まったく。今度はいつ帰ってくるのかね」
あきれて言うウィッチ。
「たぶん、当分は帰ってこないと思います」
ウィッチから目線を反らすメサイア。
「そう…」
話は暗い方向へと進んで行く。
「もう、もっとあの時いろいろ言ってやればよかったわ」
ぷーっと膨れる。
「ふふ。そうかもね」
「そうよー」
そんなこんなで少しの間、話は続く。
「ウィッチーーー?」
リウスが下から呼ぶ。
「はい。今行くよ」
そう言うと、ウィッチはいそいそと階段を下りて行く。メサイアの家は、階段を登った所に玄関があるのだ。「じゃ」
下へ行って挨拶をする。
「うん。またね…」
そう言うと、向こうもにっこり笑って去って行った。
「…本当に、当分は帰ってこないでしょうね…」
そう小さく呟くと、家の中へ入って行った。

 それから数カ月―
「よう、ねーちゃん。可愛いね。安くしとくよ」
メサイアは買い物へ出た。その途中で八百屋さんで声をかけられた。もう、40はくだらないおじさんだろう。
「今日は、何かお勧めでもありますか?」
にこっと笑って聞くメサイア。
「そうだねー」
買い物や散歩に出れば毎回のように、こうやって捕まる。そう、綺麗さ故に…。ちまたじゃーこんな可愛い子放って旅に出るやつの気が知れない、とまで言われているくらいだ…。
 まぁー村には同じ年頃の人は少ない。数えてもせいぜい五人くらいだろう。おまけに女の子は1人か2人。そりゃー物珍しそうに最初は見られた。今じゃ、村のアイドルの名がつきそうなくらいだ。
「どうだい、お嬢ちゃん」
「今日も綺麗だねー。寄ってかない?」
「安くしとくよー」
そんな声が飛び交う。だからあまり買い物には出かけないのだが、さすがに冷蔵庫に食べ物が尽きたため、買い出しに出たということだ。こんな光景が毎回のように起こるので、周りからの反感も買ってきそうだが…。「本当に、メサイアといると買い物が安上がりになるわー」
ウィッチが感心しながら言う。
「そう?」
不思議そうな顔をする。
「そうだよー。御一緒できてよかったわん」
そう言いながら帰り道を歩く。やっぱり、少し大きな買い物をするためには、山を下らないと難しい。だから、ウィッチやリウスと一緒に買い物へ出かけることになったのだ。もちリウスは物持ち。
「重ーーーい」
ぶーたれるリウス。
「ぶつぶつ言わない。男の子でしょう。力仕事は男の子」
実は2人は何も持っていない。
「差別だーーーーーーー」
「ごめんなさい。大丈夫?」
心配するメサイア。
「やさしーよねーメサイアは!」
ウィッチに訴えるように言うリウス。リウスは、「は」をやたら協調した。
「本当よね、バズラには勿体無いわよ。他の男に乗り換えちゃえば?」
からかい半分で言うウィッチ。リウスの話はまったく聞いていない。
「そんな…」
「あーでも他にいい男もいないかー。はは」
ぱっと思い出して言う。
「くす」
メサイアが笑う。
「僕は?僕はー?」
ぱっと後ろからリウスが顔を出す。
「あんたはいいの」
ウィッチが言う。
「えーなんでー」
「いいったらいいの」
2人で言い合う。
「うふふふ」
さらに笑い始める。
「…何よメサイア」
ちょっと赤い顔で聞くウィッチ。
「いえ」
まだ少し笑いが残っている。
「むー」
「?」
ウィッチが赤い顔をしているのに、疑問を抱くリウス。
「リウスさんにはウィッチさんがいるじゃないですか」
にこっと笑って言う。
「な!?何言ってんのよ!メサイア」
慌てて言うウィッチ。
「…」
なんだか、考え込んでいる様子のリウス。今の言葉の意味が、よく分からなかったようだ。
「そのうち分かりますよ」
にこっと笑って言うメサイア。
「?」
不思議そうな顔のリウス…。
「まったく、変なこと言わないでよう」
「うふふ」

 そして、それから2ヶ月という月日が流れる。
「ふぅー」
ふと、バズラの部屋を訪れる。
 家には2部屋あり、メサイアの部屋と、バズラの部屋とに別れている。寝る時も別々の部屋だ。
 パタンと扉を閉め、バズラの部屋をゆっくりと奥の方へ入って行く。
「…」
ただ、無言のまま…。
「バズラさん…」
そぉーっとバズラのベットに手を置く。
「…」
そのまま倒れるようにしてベットへと寝っ転がった。
「バズラさんの…匂いがする」
メサイアはそのまま静かに眠ってしまった。とても、安心したような表情で。

 それから数時間後、ドアを開ける音がした。
「メサイア?」
そのドアの向こうからバズラが表れた。まだ6時前。家も開いていたから出かけているわけではなさそうだ。もちろん寝るにも早すぎる。
「メサイアー?」
そこら中を見回るが、それらしき人は見当たらない。
「あれー?」
自分の部屋へ入り、荷物を置き扉を閉める。
「ん?」
誰かが自分のベットで寝ていることに気付いた。
「!メサイア?」
気付くとそこには探していたメサイアの姿があった。
「…」
少しの間、その寝顔に見入ってしまうが、すぐに我に帰った。
「ん…」
「あわわ…」
慌てるバズラ。
「あれ?私…いつのまに眠ってしまって…」
寝ぼけながら辺りを見渡す。とりあえず、自分がバズラの部屋へ来て、寝ていたことだけは覚えているようだ。
「疲れてるんじゃねーの?」
なんか声をかけずらかったが、ぱっとそんな言葉を口にする。
「その声は…バズラさん?」
ぱっと声のした方を振り返る。
「よう。久しぶり。元気だった?」
バズラが陽気に話しかける。
「…」
お金の割には案外早かったので、メサイアは驚いていた。
「どうした?」
ずーっとその体制から動かないので、変に思って話しかけた。
「へ?」
メサイアは我に帰る。
「大丈夫か?ぼーっとして」
「え…うん。平気です。あ!ごめんなさい」
自分がバズラのベットにいることに気付き、慌ててベットから降りる。
「あー別に構わないけど…」
その行動を見て、両手を振って言った。
「…」
なんだか沈黙してしまう。
「あ…あの…」
何か話をしようと口を開くが、うまい具合に話題が見つからない。
「今回はどのくらい、家にいられるんですか?」
先に口を開いたのはメサイアだった。
「え…まぁー3日くらいは…」
考え込みながら答える。が、あまり聞いてほしくない質問だったらしい。
「そう…」
そう、返事をすると、部屋を出て行こうとした。
「あ!メサイア!」
「え?」
引き止められてくるっと振り返る。
「あ…ただいま」
そう、いきなり不似合いな言葉を言う。
「…くす…おかりなさい」
にこっと笑って言うと、部屋から出て行った。
「…へへ」
この言葉を聞くために帰ってきている、っと言っても過言でもない。その言葉を聞いて、始めて自分の家に帰ってきたっと実感する。
「あーあ。なんだかな」
この感覚は出かけなければ味わえない。だからといって、ずっと放っときぱなしにしているわけにもいかないし。ちょっと複雑…。

 そして数日後のある夜―
 物音がして目覚めるメサイア。
「ん…まだ3時だわ…」
時計を見て、ゆっくり起き上がる。
「?」
不思議そうな顔をしながらそぉーっとドアを開けた。
「…」
「よし。こんなもんかな」
なんと、そこには大きな荷物を抱えたバズラが立っていたのだ。向こうはこちらには気付いていないようだ。
「オッケー」
古ぼけた袋をテーブルに置き、外へ出ようとした。その時、メサイアは自分の部屋から出て、居間へと出た。そしたら、
「あ…メサイア…」
確認のため再度振り向いたのだろう。やばって感じの顔でメサイアの姿を再認識する。
「…」
メサイアはただ、にこっと笑ってバズラを見つめていた。
「あ…あのっ、これはその…えーっと、ちょっと散歩をね…うん」
どうやら言い訳をしているつもりらしい。
「こんな時間に?しかもそんな大荷物で?」
少しからかってみる。
「いや…あの…これは…そのー…」
言葉につまる。べつに大荷物ってほどでもないが、明らかに散歩には見えない。
「うふふ。気をつけて、いってらっしゃい」
その戸惑いに笑いながらも、優しく言葉をかけるメサイア。
「え?」
その言葉に、驚きを隠せないバズラ。バズラは、引き止められるか、泣かれるのかと思っていたらしい。ところが、引き止められるどころか、「いってらっしゃい」の言葉すら帰ってきた。おまけに、泣かれるどころか、逆に嬉しそうではないか…。
「ん?」
あまりにも不思議そうな顔をしていたので、少し疑問に思うメサイア。
「いいの?行っても…」
「えー。私には引き止める権利はありませんから…」
笑顔ではあるのだが、どこか雰囲気が淋しそうである。
「メサイア…」
この時、いかに自分を優先してくれているかが、分かる。なんだか身に染みてきたっという感じの顔をするバズラ。
「…」
メサイアは優しそうな笑顔でバズラを見つめる。その笑顔は、まるで女神が微笑んだような笑顔に匹敵するだろう、なんて言ったら大袈裟だろうか…。
「…ごめん!!」
いきなり頭を下げて謝るバズラ。
「…?」
いきなりだったため、少し驚いた様子でバズラを見る。
「本当にごめん!連れてくとか言って、毎回置いてっちゃって…」
「…」
謝られた理由がやっと分かったメサイア。
「ほんと、ごめんな」
そぉーっと顔をあげる。
「…いいんですよ。私も待ってるって言いましたから…」
なーんだって感じの気分だが、にこっと笑って言った。
「でも…あ!そうだ。なんか、なんかない?」
ぱっと良い考えでも浮かんだらしい。でも、なんかでは分からない。
「なんかって?」
「だから、俺にできることで、今叶えられる願いごととか…、して欲しいこととか…」
なんだか変に慌てた言い方をしている。
「え…べつに。いいのよ、気にしなくて…」
そんなバズラの態度とはうって変わって、落ち着いた態度で返す。
「いや。そうもいかない。俺の気が納まらん」
びしっと言い切る。
「いや…でも急に言われても…」
確かに困る…。
「ねーなんかない?」
どうしても、言ってもらいたいらしい。
「うーーん」
いろいろ考え込む。願いとしては、きっと、いっぱいあるんだと思う。ただ、一番の願いは、「行かないで欲しい」だろう…。でも、それはきっと言わないだろう。それに、バズラを困らせてしまうに違いないから…。そういうことを考えると、どの願いも言いずらい。
「ねー」
相手を伺う。
「あ…」
ある一つの事を思い浮かべる。でもまだ躊躇しているようだ。
「え?なんかあった?」
なんか、プレゼントを期待する、子供のような状態になっているバズラ。
「私、おかえりなさい、は言えても、いってらっしゃい、はあまり言ったことないんですよ…」
ふと口を開く。
「?」
でも、今の言葉の意味は、バズラには分からなかった。
「いつも、バズラさんは、私の知らないうちに、いなくなってしまう」
下を向きながら言っているので、表情は分からない。なんだか心配になるバズラ。
「あ…いや…それは」
メサイアの淋しそうな顔は、見たくはないから。という言葉は、その場で飲み込んでしまった。
「だから、いってらっしゃいを、言わせて欲しいかな…って思ったの」
ぱっと顔をあげる。その表情は、バズラが想像していたものとは違った。少し安心した顔でメサイアを見た。「な…なんだ。そんなことなら、お安いご用です。次回からは、ちゃんとメサイアが起きている時間に出かけます」
「うん。そうしてくれるとうれしいです」
にこっと笑う。言葉からは想像できないが、その表情からは、本当に嬉しそうだと感じる。
「それじゃー」
切りのいい所で、バズラが扉のドアノブに手をかける。
「うん。いってらっしゃい」
少し、いってらっしゃいにアクセントをつけて言う。
「へへ。はい。いってきます」
微笑しながら答え、そして外へ出る。なんだか、嬉しいような、恥ずかしいような感情に、バズラは駆られていた。
「…」
メサイアは、そのバズラの後ろ姿を、どこまでも、どこまでも見送っていた。
 とうとう見えなくなった頃、張り詰めていた何かが、ぽろりと涙と一緒に零れ落ちる。
「いきなり、いなくなられるのも嫌だけど、こういういなくなられ方も、ちょっと辛いかな…」
顔は笑っているが、心はとても淋しい。涙がそれを、物語っていた…。