グリブル長編小説「一枚の思い出 第5話」
 

 

一枚の思い出 第5話

 

「俺は、そのまま気を失って、気づいたら、シジマ先生の家にいたんだ…」

 

 体中に痛みはあったが、動かせないほどではなかった。
 窓の外は明るくて、朝が来て、晴れたんだと、気づいた…。

 ぼーっとする頭を無理やり起こして、痛む体を引きずって、俺は廊下を歩いた。
 廊下を歩くたびに感じる痛みが、自分が何をして、自分がどうなったのかを、鮮明に思い出させてくれた。

 あいつは…あいつはどうなったんだ…。
 あいつは…

 

「…」
そこで、言葉を止める。
「…グリーン?」
彼女は、不思議そうに俺を見上げた。
「…あいつは…」

 

 『おそらく、グリーンを助けて落ちたかと…』
 『……そうか…』
 『どう、グリーンに話しますか?』
 『…まだ、現実を受け止めるには、あまりにも幼すぎるな…』

 

 廊下で聞いた言葉は、絶望的な言葉だった。

 あいつが…あいつは…死んだのか…?

 

 

 

 

 死んだ…。

 俺を…俺を助けて…。

 俺の…せいで…。

 俺の…

 

「俺の弱さが、あいつを死なせてしまった…。俺のせいで、みんな…傷つけて…迷惑をかけて…」

 

 なのに、なのに俺は…

 

「…その後、俺がどうしたと思う…」
俺は自嘲的に笑みを浮かべた。
「え?」
「俺は、あいつと撮った写真をアルバムから抜いて、あいつの顔に傷をつけて、あいつの存在を、俺の中から消し去ったんだ…」

 

 あいつとの思い出を、あいつとの記憶を、俺の中から消し去った。
 自分の弱さを認めたくなくて、自分のせいにしたくなくて…。

 俺のせいじゃない。
 俺のせいなんかじゃない。
 俺は悪くないっ。
 俺は、弱くなんかないっ。

 そう言い聞かせて、あった事実を、全て消し去ったんだ…。
 自分の弱さを、認められずに、あいつの全てを、消し去ったんだ…。

 あいつと出会わなければ、苦しみも、悲しみも、期待も、何もかも、感じなくてすむと思ったから…。

 俺の中から、あいつの全てを、消し去った。

 

「…あいつの死を、受け止めきれずに、忘れることでしか、俺は先に進めなかった。シジマ先生も、あいつのことには触れなかったし、俺もそれでいいと思った。そう、それでいいと…思ったんだ…」
あいつを忘れることが、俺にとって、最善のことだと、そう思っていた。

「ひどいよな…。あれだけ、あれだけ一緒にいて、都合が悪くなれば存在自体を消し去る。俺を守るために、自分を犠牲にしてくれたのに、俺はそんなあいつを、消し去ったんだ…。自分のために、自分がこれ以上傷つかないために、あいつの存在を、消し去ったんだ…」

最悪だ。
なんて最悪な人間なんだろう。
自分のせいで、あいつは巻き込まれただけなのに。
あいつは犠牲者なのに、俺は、自分のために、あいつの全てを、消し去ったんだ…。

「…ひどい…とは…思わないよ?」
「っ…」
「だって、それが、そのときのあなたにとっては、最善のことだったのでしょう?」
優しく頬を撫で、微笑みを向けてくれる。
「そうだったかもしれないがっ、それでも、助けてくれたのに…忘れるなんて…っ」
そんな、そんなひどいこと…
「もし、あたしがその子だったら、あたしはあなたを恨んだりなんかしないよ?ひどいなんて思わないよ…。あたしのことを思って、悔やんで、苦しんで不幸になっていくよりも、あたしのことを忘れることで、幸せになれるなら、仕方ないって思える。そのことで、恨んだりなんか…しないよ…」
優しく、俺を抱きしめてくれるぬくもりが、痛い…。
「…でも…俺の…せいなのに…俺が…あいつを…殺したのに…」
恨まれないはずがない。
俺があいつを殺したのに、肝心の俺が、そのことを忘れてしまうだなんて、ひどすぎる。

忘れたことで、俺はあいつの死さえも悲しむことはなかった。
涙ひとつ流さず、悲しみすら、あいつの存在ごと消し去った。

「…ねぇ…どうして写真が残ってるの?」
「…え…」
何を、言い出すんだ…。
「本当に、全てを消し去るつもりなら、写真をぐちゃぐちゃにするんじゃなくて、そのまま捨てたって、良かったんだと思うの…。それでも、どんな形でも、この写真を残していた…。それって、いつかは思い出してあげるつもりだったんじゃないの?そのときは受け入れられなくても、いつかは、受け入れられる日が来るんじゃないかって、思ってたんじゃない?」
そっと額を合わせて、笑みを浮かべてくれる。

いつか、思い出すつもりだったのか…。
受け入れられる、そのときのために…。

最後のページにあった写真は、おそらくシジマ先生が残したものだろう。
でも、それ以外の写真。不必要に空白のあったアルバム。それらは、未来の俺のために残した、メッセージだったのか…。
あいつのことを、思い出すことを、過去の自分は、未来の俺に、託したのか…。

「そのとき忘れてしまっても、グリーンは今、思い出したじゃない…。ちゃんと、思い出して、後悔して、悲しんだ。それだけで、その子は十分だと思うよ…」

今…もう、10年近く経ってしまったけれど、思い出したよ。
そして、今だからこそ、受け入れることができた。

許して…くれるだろうか…。
忘れた俺を、あのとき、受け入れられなかった俺を。
今の俺に免じて、許して…くれるだろうか…。

「………っ」
涙が…頬を伝う。

あのとき、流せなかった涙。
あのとき、感じなかった悲しみ。

今、涙を流すから…。
今、悲しみを感じるから…。
今、あのときの弱さを、受けとめるから…。
今、後悔をばねにして、より強く、生きるから…。

どうか…どうか…許して…

 

 

 

 

「…今度、一緒にお墓参りに行こうね…。それで、ごめんねって、ありがとうって…伝えに行こう…」
ぎゅっと抱きしめてくれた彼女も、一緒に泣いてくれる。
「あぁ…」

もう、俺は大丈夫だ…。
あのときみたいに、一人じゃない。

おまえを、受け入れるだけの、強さを、やっと手に入れることができた。

会いにいくよ。
「ごめん…助けてくれて、ありがとう」って、伝えに、必ず行くから…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ごめん…ありがとう………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バルキー…。

 

 

2007年6月27日 Continued

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